

以前、龍馬やジョン万次郎などに影響を与えた当市出身人物として樋口真吉の紹介をさせてもろうたけんど、ここ中村は幸徳秋水の生まれ故郷でもあるがよ。
左が秋水で、右が秋水絶筆詩の記念碑です

幸徳秋水は教科書などで一度は耳にしたこともかるかと思うけんど、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者です。
今日はこの秋水についてお話したいと思いよります。
(読みやすいように以下は方言をお休みしますね

幸徳秋水こと本名 幸徳傳次郎(でんじろう)は現在の四万十市中村京町に生まれました。
薬種業と造酒業を営む裕福な家の4人兄弟の末っ子で、幼児期から神童と呼ばれるほど優れ、自由民権運動に関心を持っていました。
16歳で上京し林有造の書生となるが、自由民権運動弾圧法である保安条例によって東京を追放されて一度高知へ帰ります。
その後、終生恩師となる中江兆民の書生となり大きな影響を受けた。秋水≠ニいう名をもらったのもこの中江兆民からです。
明治時代のジャーナリストとしてたくさんの注目を集める人生でしたが、明治天皇の暗殺を計画したというありもしない話を捏造され死刑となり44歳という若さで生涯を終えました。
この事件は『大逆(たいぎゃく)事件』と呼ばれ、別名『幸徳事件』とも言われています。
またこの大逆事件弁護人平出修を通じて秋水を尊敬し、社会主義者となった有名な詩人・評論家に石川啄木がいます。
地元の昔や偉人を知っちょうつもりでおっても、調べてみると意外な繋がりとかたくさん驚かされることがでてくるもんながやと思うたちや

学生の頃は出来る限り読みたくない文章やったけど、こうして違う形で調べてみると楽しいもんやね

